〜万人の理想〜

  

  私の名前はクダモンだ。性別はない。
  現実世界で生きることを選んだ電脳生物のひとりに過ぎないことだけ知っておけば十分だろう。

  現在、私はパートナーたる少女とお台場にきている。
  なぜお台場なのかといえば、単なる観光という面白みのない解答しか用意できない。

  彼女はどう見てもオノボリサンという調子で、カメラを片手に胸を弾ませていた。
  何がどうして楽しいのかは私の知るところではない。


  そんなことより、浮かれきった空気を振りまいて歩く彼女は、元々ちり紙のような警戒心を吹き飛ばしていて、
  すなわち私がしっかりしていなければどこぞ怪しい所にも入ってしまいそうで非常に困る。

  いくらこの一帯の治安が格段に良いとはいえ、どのような場所にも危険はつきものだ。


  とはいえ、いくら私がこのような事を言ったところで
  「えっ、でもさ。毎秒そんな気を張り詰めてちゃ人生楽しめないよね?」
  との持論を展開して軽くあしらってしまう訳だから更に困りものだ。

  自分がそんな調子だからますます私が気を張り詰めていると考えないのか!
  まあ気を張り詰めるのが辛いわけでもない以上、別に構わないのだが。



  相変わらず右へ左へ跳ね回るように動く彼女の肩に乗りながら、警戒することは怠らない。
  ざっと見渡しても、お台場には私たちのようにパートナーと共にいるデジモン達が多い。

  台場地区は政府が定めたデジモンと人間の共存生活を示すモデル地区なのだ。
  ゆえにデジモンの頭数も多く、にも関わらず他の場所と比べれば小競り合い等の問題は少ない。
  未来の理想社会の模範とも呼ばれているのがお台場の今の状態だ。


  しかしあくまで問題がないのではなく、少ないという事実を忘れてはならない。
  理想社会とはあくまで理想のままであり、それが現実になるのは不可能だと私は思っている。
  彼女に行ったら難しいことは分からないと首をかしげられるだろう。


  ただ理想とまではいかなくても、この地区の雰囲気は悪くないものだった。
  彼女も非常にご満悦のようだ。何にご満悦なのかはやっぱり私にはよく分からないが。

  「やっぱりにぎやかなのは楽しいよね。私たちみたいな人たちもたくさんいるし」

  
  また一つ写真を取って、彼女は私に語りかける。
  「早く世界中でこんな風景みられるといいのにって思うよー。クダモンは夢物語っていうかもしれないけどさ」

  よくわかっているではないか。

  「むぅ、夢が無いよね。生まれてまだそんなに経ってないくせに」
  性格だ。人間と一緒にするな。
  「ホントにクダモンって私と正反対だよね。いろんな所がさ」
  今更だろう。逆にそれくらいで丁度いいのだろうな。

  などと、取り留めもない事を喋っていた。彼女はカメラを構えたままなおも話す。私はそれに多少の相槌をうつのみだ。


  だが、その中に少々の油断があったのだろう。


  突然後ろから気配を感じた。こちらに向かってくる足早な音。
  歩道ゆえ、走っている人間がいるとしても不自然ではない。しかし、どこかに違和感を覚える音だった。
  
  その後ろから向かってくるものに気づくのが遅れたことは、自分が情けなくなるほどの失態だった。
  後ろからやってきたのは人間の男と、デジモンが一体。
  この暑さにも関わらず完全に顔を隠しているその男は、明らかに“悪事を働く”姿であった。


  「きゃっ!」


  私は即座に動こうとしたものの、あと一歩及ばなかった。
  男は彼女に突撃し、瞬時にその鞄を奪ってしまったのだ。

  電光石火の如く逃げる男。よろけた彼女が道路に打ち付けられたのを見た瞬間に、私の中で何かが切れたようだった。卑怯者めが!
  私はとっさに男を追いかけた。彼女は怪我をしているだろうが、恐らく大丈夫だ。

  それよりも男が彼女のモノを盗んでいったこと。そして彼女を突き飛ばしたことは決して許される行いではない。
  念のためいうと、私はこれでも冷静である。

  男は本来なら逃げ場がないはずの海に向かっている。
  思い出したが、男と一緒にいたのはギザモン。水中を得意とするデジモンのはずだ。
  海に逃げて追手をまこうというのか。私は水中が得意でないので、それまでに仕留める必要がある。

  
  しかしどうする。目眩ましの術ならあるが距離が離れすぎている。
  男は思った以上に素早く、動くことに特化されていない私の足では追いつけるものではない。

  ああだから、だから油断は禁物なのだ!私は先刻の自分の考えを肯定し、数秒前の自分の愚かさを罵った。
  逃したくない、逃がすわけがない。だから追いつく。なんとしてでも。

  だが無常にも、海は男の目前に迫っていた。



  ────ッ!!私の叫びが、声にもならずにほとばしった。
 
  


  その瞬間のことだ。男が突如空を飛んだのは。


  いや、吹っ飛ばされた、の方が正しいのだろうか。
  私の目の前で起こったことを見たままに話せば。

  男は横から突如転がってきた物体に吹き飛ばされ、宙をまい、そして地面に叩きつけられた。

  何が起こったのか分からずに、しばし呆然とする。
  男をふっ飛ばした謎の物体は、球体をしていた。かと思うと、それが割れて生き物の形をとったのだ。そして。


  「ストライクだぎゃ!」

  と、なんとも緊張感のないことを言い始めたのである。明らかにデジモンであった。


  「そのまま押さえて下さい、アルマジモン!」

  驚く間もなく、今度はアルマジモンと呼ばれたデジモンが転がってきたであろう方角から、青年が一人駆け寄ってくる。
  おそらくはアルマジモンのパートナーであるその青年は、彼女よりも明らかに年上の、非常に生真面目そうな男であった。

  アルマジモンは青年の言いつけ通りに男を取り押さえていた。
  青年は男を取り押さえる役をそのまま引き継いだ後で、今度はギザモンを押さえるようにと言い放つ。
  ギザモンは男のそばでオロオロしていて、こちらも楽に取り押さえていた。

 
  「クダモン!クダモンーーー!!」


  その時、彼女の声が聞こえた。振り向くと、彼女は息を切らして私の側に近づいていた。
  見たところ多少の打撲後はあるものの、時間をかけずに治る類のものばかりである。
  
  私はまず、彼女に置いていってしまったことを詫びて、更に油断したことや男を自分で取り押さえられなかった事を詫びた。
  しかし彼女はそんなことどうだっていいの!と言わんばかりに涙目になって私に抱きついていた。正直にいおう、苦しい。


  「あの、大丈夫ですか?」


  青年は、どうやら男をどうにか拘束したようで、私たちのことを伺うように側にきていた。
  彼女は少々顔を赤らめて、頷く必要がないほど頷いていた。いい忘れていたが、彼女は案外惚れっぽいところがある。

 
  「大きな怪我がないようで良かった。警察を呼びましたから、もう少しで鞄も返せるかと思います」
  「あ、ああああああああはい!」


  完全に気が動転しているな、この様子では。
  仕方がないので、私からまずは彼らに礼を言わねばなるまい。
  彼らがいてくれなくては、彼女の鞄も帰ってこなかったし、私も悔しいままだった。
  もちろん、今でも悔しいことに変わりはないが。最悪の事態は防げたのだ。それを僥倖と呼ばずになんと言おうか。


  「いえ、当然のことをしたまでです」


  一生に一度は言ってみたい台詞だな。
  この青年、しかし妙に落ち着きがある。まるでこういった事柄に慣れているかのようだ。

  恐らくこの青年のパートナーであるアルマジモンも、的確にかつおそらくは男に必要以上の怪我を負わせないように、
  突進したのだろう。
  この青年といい、パートナーといい、どうやら中々に只者ではなさそうだ。


  そんな折に、呻く声がした。
  見ると先ほどの男が拘束をどうにかしようと、不恰好にもがいている。青年はそんな男を一瞥して、こう言い放った。


  「貴方にも何かしらの事情はあるかもしれない。
  ですが自分より明らかに弱い立場の人に対して狼藉を働いたことは、卑怯としか言いようがありません。
  しかも自らのパートナーデジモンにも犯罪の片棒を担がせようだなんて、絶対にあってはならないことです。
  それが取り返しのつかない事態を引き起こすことだってあるし、それに……」


  言いかけた言葉を、青年はどうやら飲み込んだようだ。ややその表情には苦悶が浮かぶ。
  僅かな時間であったが、青年には何か辛い記憶があるのだろう、そう連想させるに十分な表情であった。



  男はそれから一切、抵抗することをしなかった。 



  
  「うぁー……何か疲れちゃったね」

  当たり前だろう、と私は彼女の首に巻き付く。
  あの後、すぐにやってきた警察によって少々時間を取られたものの、必要なことが済めば私と彼女はあっさりと帰された。

  もちろん鞄も一緒にだ。彼女はこのまま家路につく、とおもいきやまだ観光するつもりらしい。疲れたのではなかったのか。


  「うん、だってここまできたのにもったいないし。それにあの人もさ、ここが好きだって言ってたもの」

  青年とは結局、事件現場で別れてそれきりだ。
  その後彼らがどうしたのかは私の知るところではない。

  ただ別れ際に青年は、私たちに向かってこう言っていた。


  
  『一番理想に近い地区、と言われたところで、
  現実にはこうしてデジモンを使った事件がここでも起こっていて、理想なんてまだまだ遠いところにあります。
  ですが、それでもここには沢山のデジモン達と、人々がお互いを信頼して暮らしています。
  今回のことでもうここに来たくないと考えてしまうのは致方ないでしょうが、それでも僕達はこの地区を誇りに思っています。
  僕達のわがままが叶うのなら、またここに遊びに来てくださいね』


  青年は、この町を誇りに思っていると語った。
  もしかしなくとも、あの青年らはデジモンと人間の共生を望み、そして実現しようとしている者たちなのだ。


  「私もここが好きだよ。さっきのことだって、どこにだって悪い人はいるから仕方ないよ。
  だってさクダモン、私の住んでるところじゃあこんな光景はまだみれない。
  私たちのような存在のほうがまだまだ少数派で、クダモンとこうして歩いただけでも変な視線を向けられるから」


  彼女の目は、ただただ人々と、デジモン達に注がれていた。
  理想に一番近いところ、それは未だ万人の理想とは言いがたい。
  今でも私たちのようなものが珍しい地域はあり、それ故に苦しむものたちがいるのだ。


  「この光景が、そのまま未来になるといいのにね」
  彼女は、わずかだけ目を細めた。そのすぐ後には、じゃあめいっぱい楽しまないとね!といつもの調子を取り戻したのだが。



  私は、別にデジモンと人間の共生をそこまで強く望んでいるわけではない。
  ただ、私と彼女がともにいれる未来さえあればそれで十分なのだ。

  それは理想ではなく、ただの私の願望だった。彼女が聞けば、もっと高望みすればいいのにと笑うだろう。

  だが私には、その望みこそが唯一なのだ。
  パートナーと共に暮すデジモンは、大抵がそう思っているに違いない。


  ただ大切な人と共にあれるのならば、それが私たちの理想になるのだろう。



  なにぶん生まれて幾ばくもない私だ。今回のように彼女を守り切れない、まだ力の足りない存在。
  しかし、ささやかな理想の為に私は今日も彼女の肩にいるのだ。


  願わくは、彼女と私の縁が切れぬように。







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