〜昔のあなたと話をしよう〜

  


  久しぶりに降り立ったお台場は、信じられないほどに暑かった。

  まるで日本列島ごと蒸籠に入れてしまったかのように、ベタベタとした湿気を帯びる
  特有の気だるい暑さが充満している。


  日本はいつから亜熱帯になってしまったのだろうか。
  そう思いながら、コンクリートで舗装された道を歩く。


  聞いた話では今年は熱中症が例年以上に多いらしい。
  この暑さでは納得するしかない。道の向こうが陽炎に揺らめいていることに
  何度目かのため息を吐いた。


  
  お台場は喧騒に包まれている。
  この暑さの中でも観光客は訪れ、賑わいを見せていた。

  ダイバーシティ東京にはびっくりしたものだ。何せ国民的ロボットが等身大で突っ立ているのである。
  色々とまた増えたもんだなぁ。

  かつて過ごした故郷なのに、まるでお上りさんのように眺めてしまう。
  人工島にできた複合都市は故郷というイメージから遠いだろうが

  ここは自分にとって子供時代を過ごした場所であり、全ての始まりの場所だった。


  「お兄さんお兄さん」
  ふと声がかかる。そちらを見ると、チラシを持った高校生らしき青年が笑顔を浮かべていた。
  傍らには同じようにチラシを持って‥‥いや、咥えているラブラドールレトリバーのような生物がいる。


  「ダイバーシティ東京で期間限定開催、デジタルワールド物産展にどうぞお立ち寄りください!」
  「もごもご」

  愛想のいい声で言われて差し出されたチラシを思わず受け取る。
  傍らのラブラドールレトリバー(デジモンアナライザーを開けば、それがラブラモンという
  デジモンであることが分かっただろう)は、尻尾を振りながら他のお客さんに向かっていく。

  あの愛らしい姿で呼びこむのだろうか。なかなかの策士である。

  
  「デジモン物産展、なぁ‥‥」


  お台場は、当たり前のようにデジモンが存在している。
  共存の架け橋となるこのモデル都市には、遠くない未来の縮図が見えた。

  それを実現させたものは、並大抵の努力では到底及ばない。


  沢山の命が流れ、悲しみに息を詰める。
  あえて語られない物語がそこにあり、語りたくない現実も存在した。


  それでも、今のお台場は賑やかだ。
  彼らの成したことが、間違いではなかったと確信できるくらいに。



  (それでも、俺はずっとここを離れてたんだよな)



  思い出すのは、アメリカに行くと告げた時の皆の顔である。
  その時にはある程度のゴタゴタは落ち着いていたし、味方になる人々は増えていた。

  それでも、積み上がった問題は多く、未来への展望が僅かしか見えていなかった頃。
  自分の決意を、彼らはどう思ったのだろうか。


  今更そう思うのだ。 
  




  おとなになった。


  大人になって、背が高くなった。声も低くなった。
  そして、気付いていくのだ。あの時の選択により、捨てたものが確かにあったのだと。



  (応援してほしいなんて、おごがましい話だった)




  「‥‥でも、それを俺は」

  喧騒から遠ざかるように、歩道を一人歩く。
  歩道の向こうには海が見えた。鈍色に輝く、夏のきらめきのようだった。


  遠くに陽炎が見える。
  それを見て、淡い風が身体を包むように感じた。


  「選んだんだよ。だから」
  『後悔なんてしないって顔だな』


  隣から、ふと声が聞こえる。聞き覚えのないようで、よく知っていた声。


  「そうだ。俺には行きたい道があったんだ」
  『そうそう、俺には夢がある』


  声は、決意を込めたような色で。


  「皆の手伝いがしたくない訳じゃない。でも、それで諦めるのは違うよな?」
  『遠慮なんてらしくないだろ』


  声は、開き直るような心地で。


  「一緒に何も出来なくたって、できる事だってあったじゃねぇか」
  『やっぱ海外だとデジモンってあんま認知されてねーのな』


  声は、残念そうな面持ちで。


  「そうだ。アイツと一緒に屋台引いてアメリカ中回ってさ」
  『見せてやりてーもん。アイツと俺は唯一無二のパートナーなんだって』


  声は、自信満々な抑揚で。


  「お台場だけで、日本だけで終わるわけがない」
  『世界中の人たちが、パートナーを見つけるってきっと』



  それは、選ばれし子供達全ての夢。
  パートナー、もう一人の自分。自分に寄り添い合う、最高の相棒。

  自分を補完するものの、いる未来の尊さを。
  声は、高らかに告げる。未来を、沢山持つその姿形で。


  「それってきっと良い未来、そうだろ?」
  『何だ。ちゃんと分かってんじゃねぇか』


  にっこり、と声の主は笑う。
  今の自分より、頭ひとつ小さな姿。ぼさぼさの頭に、ゴーグルが光っていた。



  『後悔するような選択はしねぇ、だろ?』
  「当たり前だ、”俺”が一番それを知ってるよな」
  『”俺”も難しいこと考えるようになったんだな。でもさ、結局どこまでいっても俺は”俺”なんだ』



  「知ってるし、大丈夫だよ。未来の”俺”は何にも変わってねーよ、な?」




  かつて選ばれた、あの時の子供だった自分に。
  大人になって、大人の景色をしった。背が高くなった、声が低くなった。

  それでも、過去にとらわれないままに、子供のような笑顔で笑った。


  「本宮大輔、お前はずっとお前のまんまだ」


  『だったらこれからもちゃんと前向いてろよ、未来の俺』




  陽炎が揺らめく。
  再びの淡い風とともに、その姿は霧散していった。

  ゴーグルの煌めきが、目に焼き付いて離れなかった。







  青年は、海を見てしばし立ち尽くす。
  あれほど輝いていた海の反射は、今はただの白の光に見えていた。


  「あー‥‥‥全く、ほんとにらしくなかった」
  望郷、という言葉を思い出した。故郷に戻った感傷が、あの陽炎の光景を見せたのだろう。
  そういえば昔もこんなことがあったなぁ、と思いながら歩道を歩く。


  パートナーは先に向こうに付いているだろう。他のデジモン面子に誘われていたのだ。
  今でもアイツは驚くほど無邪気なのである。

  変わっていないなぁ、と皆に言われるのだ。アイツも、そして俺も。


  「よっし、そろそろ待ち合わせ時間になりそうだし。いい加減行くか」


  変わっていない、それでいい。間違いを正すことも、幼さを克服することも必要だ。
  けれど変えてはいけないものもきっとある。変わらないものも、あるいは。



  今年の8月1日は暑く、それでも賑やかなまま。
  大きくなった、けれど変わらない彼らに会いに行こう。 





 

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